左腕がねじれてる

女40歳が紆余曲折を乗り越えサバイバルする奮闘記

今の住まいに到るまで

今、私が住んでいるところは、南関東の田舎です。

私鉄ローカル線の始発駅で、駅前には食材スーパーとその上の階に衣料品店、(イトーヨーカドーとその上にある衣料品店のような感じ)、に100円均一ショップ、コンビニくらいしかありません。

駅から少し歩いた所にある賃貸マンションの一室で、両親と私の弟・末の妹が暮らしていたところに、もともとは都内で夫と息子(当時1歳)と住んでいたけれど、息子を連れて飛び出した私が押しかけて、居候を始めました。

狭いです(笑)

当時弟は海外に長期出張中だったので、弟の部屋を借りて親子で寝起きしていました。

ビザの関係で弟がしばらく帰国してくると、私たち親子は妹の部屋に移動し、追い出された妹はリビングで寝起きするという……寝る場所からいって、なんとも安定感のない生活です。

押しかけてしばらくは離婚の話が進まず、私も両親と正式に同居するつもりはありませんでしたので、住民票も変えないまま「仮」の生活が続きました。

離婚が成立すれば母子で都内に戻り、公的な母子支援を受けて自立することを考えていました。専業主婦をしていたので、就職を考えると再出発は都内・首都圏でしかありえないと考えていました。

しかし、夫は離婚に全く応じようとしません。

また、両親との暮らしは、特に実母とは反りが合わないことがあり、この頃の私にとっては大変に苦痛でした。実家とはいえ、転勤族の私の父が2年ほど前に仕事の都合で移り住んだだけなので、土地に馴染みも全くありません。

「仮」住まいしながら地域の情報なども集めましたが、都内はやはり仕事や子育て支援などの公的サービスは充実していますし、有料の私的なサービスも充実して生活しやすいです。過疎化する一方のこの田舎では、買い物すら満足にできませんし、ましてや乳児を預けてフルタイムで働けるような環境は望めそうにありません。

一時預かりの施設すらなく、役所に相談に行ったりハローワークに行くのも息子を抱いたままで、情報を集めるだけでも一苦労でした。

今後の生活を考えるのと同時並行して、夫との離婚協議の埒があかないので、離婚調停を家庭裁判所に申し立てました。

しかし夫は全く離婚に応じようとせず、調停は2回ほどで不成立となり終了。

ほどなく、夫が子の面会交流について調停を申し立ててきたりして、離婚成立までにはかなり時間がかかりそうだという見通しがつきました。

離婚を成立させるため、すぐにでも次の法的手段にとりかかる必要がありましたが、何分「仮」の生活で乳児を抱え、書類1つ書くのも一苦労。息子はヨチヨチ歩きを始め、かなり活発な子で、目が離せません。更に、実母は持病で躁うつ病(今でいう双極性障害?でしょうか)と肝硬変を患っており、私のことで心労をかけたのか精神的に良くない状態になったり、肝硬変の合併症の手術をしたりして、1日1日を送るのが精一杯でした。

2016年の初夏。多分この頃が、精神的に底だったような気がします。

あ、一番のどん底は夫との結婚生活自体でしたが。

この底から私を浮上させてくれたのは、1冊の本でした。

どんな経緯でこの本に私が興味を持ったのかはさっぱり覚えていないのですが、スマホでネットサーフィンしていて、たまたま目にとまったようです。

タイトル・著書などは伏せますが、「マリアージュカンセラー」という肩書の著者が書いたいわゆる自己啓発、それも女子の恋愛・結婚についてのハウツー本です。「引き寄せ」とか「潜在意識に働きかける」なんていう心理学系の自己啓発本が書店へ行けば大量に出回っていますが、その中の1種かもしれません。

『自尊心』ということがこの本ではキーになっていました。

読んで、目から鱗が落ちました。

 

私は私を大切にしていい。私は、私を傷つける人と離れていい。

 

この本を読んでそう思った時、景色が一瞬にして変わりました。その変化は、今でも忘れられません。

「私を傷つける人」それは、夫であり、実母のことです。

私は自分を大切にし、私を傷つける夫とは別れていい。

私は自分を大切にし、私を傷つける母とは離れていい。

そう思った時、私は不思議と、ヒステリックになった母に八つ当たりされても

「母は母の人生。私は私の人生。私の人生は私のもの。私は楽しく機嫌良く過ごそう」

と、気にせず受け流すことができるようになっていました。

 

そうして私は精神的に徐々に落ち着きを取り戻し、将来的なことや様々なことを考えた結果、この土地で両親と一緒に暮らしていこう、と決めて住民票を移しました。

2016年の秋でした。

 

そしてこのしばらく後に、弟が結婚して家を出ていくことになりました。が、弟はこの後転職したり、挙式をあげたり、新居を探したりで色々時間がかかり、結局家を出ていったのは2017年の春になりましたが……。

そういうわけでこの春、離婚問題は相変わらず決着がついていませんが、ようやく1室を完全に息子と2人で独占できる状態になり、「仮」の住まいではなくなりました。

 

「離婚は計画的に。用意周到に」とはよく言いますが、いや、もう、なんというか、生理的にもう無理でどうしようもなく、衝動的に飛び出してしまうのは仕方ないと思います。私も、もっと計画的にやれれば良かったかなーとは思いますが、これはこれで悪くなかった、こうなるべきだったのだと本当は思っています。

この「仮」があったからこそ、問題に気が付けたし、人生の根っこにあるような大事な色々なことを考えることができた。第二の思春期と言えるかもしれません。

そういえば私、10代の頃には反抗期らしい反抗期がなかった「イイ子」ちゃんだったな。だからか!(笑)

 

今は、日々の育児・家事で肉体的な疲労はありますが、本当に幸せです。

息子はかわいい盛りの2歳で、毎日がキラキラしている感じです。イヤイヤ期でもありますので、私もきーっとなって怒鳴ったりもしますが(笑)

 

こんな迷惑な親子を受け容れてくれた両親、特に、後期高齢者でありながら未だ朝から晩まで働いて私たちを養い、何も言わずに見守ってくれる父には、いくら感謝してもしきれません。

 

いやあ、本当に、生きるって素晴らしい。